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大阪高等裁判所 平成6年(ネ)2968号 判決 1996年10月31日

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

理由

一  本件出港までの事実経過の概要

右概要については、原判決争点に対する判断一のとおり認められる。但し、次のとおり付加訂正する。

1  原判決一五枚目裏九行目「同原」の次に「、甲三五、乙一四ないし一七、一九、証人栗浦、同閔、同藤井」を加える。

2  同一六枚目裏四行目と同一八枚目表六行目「同日」を「同月」と改める。

3  同裏九行目「案内すること、」の次に「第十八富士山丸による」を加える。

4  同一九枚目表八行目「(一)」の次に「第二回入港中の同月一〇日、第十八富士山丸では、杉山一等航海士が下船し、前田一等航海士が代わりに乗り組んだ。」を加える。

二  右概要事実のほか、本件証拠による事実関係は次のとおりである。

1  閔の身上と密航、日本在留に至る経緯

《証拠略》によると、以下の事実が認められる。

(一)  閔は、昭和三七年一一月一一日生まれである。同人は、本件密航当時北朝鮮の軍人で、階級は下士であった。

閔は、北朝鮮の軍における教育、軍務に服すること及び国の体制に不満を持つようになったことから、北朝鮮から脱出して日本に移住する希望を抱くようになり、右希望を実現するため、軍を脱走し、本件密航に至った。

(二)  閔は、昭和五八年一一月三日、第十八富士山丸の中で、乗組員に発見された時、紅粉船長ら乗組員に対し、年齢を二〇才と筆記して伝え、職業については身振りで工員であると伝えた。もっとも、紅粉船長及び栗浦機関長らは、閔の職業は、農夫又は工員であるものと理解した。

(三)  閔は、同年一一月四日から福岡入国管理局において身柄を拘束され、この間、同局職員による取調べ、審査を受け、以下のように供述した。

同月五日の取調べにおいて、南浦精錬所勤務の工員である旨、密航目的につき日本見物と母の治療薬入手のためと言いながら、できれば日本で生活したいとの希望、及び北朝鮮に送還されると重罰を科される危険がある旨を述べた。

閔は、始めて、同月六日の審査において、本名が閔洪九で、職業が軍人であり、服役中の軍を脱走してきたことを述べ、更に同月七日の取調べにおいて、前記(一)の軍人としての地位及び密航に至った経過を明かし、日本への亡命を強く希望した。

閔は、同月九日の審査において、(一)と同様の密航に至る経過を述べたうえ、日本における保護を願い出て在住の許可を求め、北朝鮮に送還しないよう求めた。

(四)  福岡入国管理局入国審査官は、同月一〇日、閔に対し、同人が出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)二四条一号所定の退去強制事由に該当するとの認定をし、これを閔に通知した。

閔は同日、右認定に不服であり、口頭審理を請求する旨申し出た。

また、閔は、退去強制処分を争うため、同日、弁護士古賀康紀ほか二名を、自己の代理人として選任し、右代理人らは直ちに閔の退去強制を法的手段により防ぐための支援体制を整えた。

(五)  福岡入国管理局特別審理官は、同月一四日、口頭審理をなし、閔はその中で、自分の密航は政治亡命である旨強調したが、同特別審理官は、同日、閔に対し、同人が入管法二四条一号所定の退去強制事由に該当する旨の認定は誤りがないとの判定をし、これを閔に通知した。

閔は、同日、右判定に対し、法務大臣に異議の申出をした。

その後同月三〇日、閔は、福岡入国管理局から横浜入国者収容所に身柄を移され、以降同所に収容された。

法務大臣は、同年一二月二〇日、閔の前記異議申出は理由がないとの裁決をし、そのころこれを閔に通知した。

福岡入国管理局入国審査官は、同月二六日、閔に対し、退去強制令書を発した。

閔は、これに対し、昭和五九年一月、代理人弁護士を通じて、東京地方裁判所に退去強制令書発布取消等訴訟を提起し、退去強制令書の執行停止を申し立てたが、右執行停止申立は却下された。閔は、その後昭和五九年六月ころ右訴訟を取り下げた。

しかし、閔は、北朝鮮に送還されず、昭和六二年一一月仮放免され、昭和六三年一二月には特別在留許可された。閔は仮放免後現在まで日本に居住している。

2  本件誓約書の作成と本件出港との関係

(一)  証人紅粉及び同栗浦の各証言中には、第十八富士山丸は、昭和五八年一一月初め、閔が密航した航海を最後に、以後北朝鮮に行く予定はなかったが、本件誓約書を作成し、閔を送還せざるを得なくなったため、再度北朝鮮に行く予定を立てた旨の供述がある。

(二)  しかし、乙八(同年一一月四日付けの海上保安庁の日本船舶立入検査記録)には、第十八富士山丸は、一一月八日に南浦港に向けて四日市港を出港する予定である旨の記載があり、甲二(同月四日付けの福岡入国管理局の電話記録書)に同じ記載があり、甲一(本件誓約書)にも、「一一月九日頃四日市を出港し南浦向往航」との記載がある。

もっとも、これら甲一、二、乙八の記載は、甲四一及び証人紅粉の証言によると、航海や貿易の予定を決める立場にはない紅粉船長が、控訴人の代表者らと相談せずに、次の航海の予定を推測していた記載又は同じく供述に基づく記載と考えられるので、右記載の予定が、そのとおり控訴人らにより具体化されていたものかどうかの疑問は残るが、北朝鮮への次の航海が近く予定されていたことを窺わせる資料と言える。

のみならず、甲四一には、第十八富士山丸の傭船契約をしていた商社である株式会社日隆の常務取締役の供述として、第十八富士山丸は、右会社が同年八月から同年一二月末日までの期間、北朝鮮との貿易用に傭船していたところ、閔の密航のあった航海の次の航海について、北朝鮮の興南港及び元山港から食品を引き取る計画であったとの記載がある。

(三)  これら(二)の各書証の記載及び証人前橋の証言に照らすと、前記(一)の証言にかかわらず、本件誓約書作成当時、第十八富士山丸について、次の北朝鮮への航海予定がなかったとは認められず、南浦港向けであったかどうか、貿易の品目がどうかはともかく、また具体的な出港日がいつかはともかく、四日市港に揚げ荷した後近いうちに北朝鮮に赴く予定であったものと認められる。

しかし、甲四一及び証人紅粉の証言によると、第十八富士山丸による北朝鮮との取引は、基本的な取引契約はあったものの、運搬する積み荷の内容など具体的な手配は、航海ごとに北朝鮮側と連絡合意してなされていたこと、本件誓約書が作成された同年一一月四日には、第十八富士山丸の次の航海について、傭船主である株式会社日隆は冷凍及び塩蔵食品の引き取り計画を立てていたものの、これは容易に延期しうる計画であったこと、航海用の物資調達に至っては、何ら準備に入っていなかったこと、控訴人は、紅粉船長から、本件誓約書を作成提出したとの報告を受けて後、昭和五八年一一月四日から五日にかけて、第十八富士山丸の次の航海における北朝鮮南浦港からの積み荷とするため、商社を通じて、北朝鮮側に南浦港における蛤の引き取りの手配をし、同月五日に右引き取りにつき北朝鮮側との間で合意したこと、また、第十八富士山丸は、同月七日の四日市到着後、水、氷、食糧、燃料、消耗品を積み込み、出港の準備を整えたことが認められる。

3  閔の軍服、軍靴、及び閔が軍人であることなどについての紅粉船長らの認識

(一)  《証拠略》によると、次の事実が認められる。

(1) 閔は、北朝鮮の軍隊脱走時、軍当局から支給された軍服上下及び軍靴を着用しており、第十八富士山丸に潜入した時にも、これを持って入り、その後、これを同船の機関室内に隠していた。もっとも、閔は、同船に潜入する直前、右軍服に付いていた階級章を取って捨てており、また軍帽は着用していなかった。

(2) 北朝鮮においては、閔が持っていた右軍服及び軍靴は、軍人のほか、軍人ではない者も多数、軍人らから入手して着用していた。もっともこれら軍人ではない者は、軍服に階級章を付けることはなく、また軍帽を被ることもないので、右階級章や軍帽を付けている者は、これを観察して軍人であると判別することが可能であるが、右階級章を付けず、軍帽を付けていない者については、北朝鮮の国民にとっても、見ただけでは軍人であるかどうかは判らなかった。なお、北朝鮮では若い男の殆どは軍務に服していた。

紅粉船長や栗浦機関長は、本件出港前、北朝鮮への航海を繰り返しており、港において、北朝鮮の人々の服装を目にする機会があった。

(3) 昭和五八年一一月一〇日午前九時ころ、福岡入国管理局の入国警備官藤井博幸(以下「藤井」という。)は、軍服、軍靴等の捜索差押のため、第十八富士山丸に赴き、栗浦機関長の案内を得て、機関室内から軍服、軍靴を発見し、その後、これらを同船サロン室において、広げるなどして紅粉船長に見せた。紅粉船長は、その場で、捜索の目的物として軍服上下及び軍靴と記載された捜索調書、及び別紙押収物件目録に軍服上衣、軍服ズボン、軍靴、バンドと記載された押収調書の各立会人欄に署名押印した。

(4) 右捜索押収にかかる軍服、軍靴は、緑色で、しわが寄るなどしており、知識のない者にとっては、直ちに軍服、軍靴であると判別しがたい物であったが、同席した入管門司出張所の前橋所長は、事前に閔が軍人であり、同人の軍服、軍靴の捜索差押を行うことを聞かされていたため、すぐに軍服、軍靴だと判った。

(5) 右捜索押収には、門司水上警察署の職員らが、警備のため立ち会ったが、同警察署には、その前日の同月九日、入管門司港出張所長から、電話で、閔が軍人であること及びその軍服等の捜索をすることを知らされていた。

(6) 紅粉船長、栗浦機関長らは、右捜索差押時を含め、本件出港前に、入国管理局や海上保安庁、水上警察の各職員らから、閔が軍人であることや、軍を脱走したものであり、日本に亡命を求め、日本居住を希望して、北朝鮮送還を拒絶していることなどの事情を聞かされたことはない。

紅粉船長が、同月一一日、朝鮮総連の職員らに自己の陳述を記載させた書面には、閔について、青年との表現があるのみで、軍人との記載はない。

(二)  右(一)の認定によると、第十八富士山丸の乗組員のうち、少なくとも紅粉船長は、昭和五八年一一月一〇日の捜索差押の際、捜索調書、押収調書の記載から、押収された閔の衣類が、軍服、軍靴であることを知っていたものと認められる。

そうして、北朝鮮では若い男の殆どは軍人であることは前記のとおりであり、北朝鮮への航海を繰り返していた紅粉船長はこのことを知っていたものと認められる。

これらからすると、紅粉船長らは昭和五八年一一月一〇日の時点で、閔が北朝鮮の軍人である可能性が高いと認識したものと推認される。

しかし、他方、北朝鮮では、軍人以外でもそのような軍服、軍靴を着用している者が多数いること、閔を発見した際、同人からの情報で、同人が農民又は工員であると理解していたこと、紅粉船長は、右捜索差押後、朝鮮総連職員らに陳述して書き取らせた書面によれば、閔のことを青年と表現しているのみであることからすると、紅粉船長らは、閔が軍人であるとの確信までは得ていなかったものと推認される。

なお、紅粉船長らは、閔が、日本に亡命、移住を希望していること、北朝鮮への送還を拒んでいること、日本への密航の動機、更には閔の送還・在留についての入管法上の退去強制手続の進捗状況の事実を知らなかったものと認められる。

(三)  証人紅粉の証言中には、紅粉船長は、捜索調書及び押収調書の署名押印は、不動文字を除き白紙の状態で署名押印したものであるとも供述する。

しかし、藤井らにおいて、あえて、軍服等が発見されたこと、閔が軍人であることなどを秘匿する必要性があったと認めるに足りる証拠はない。控訴人は、軍服軍靴の捜索差押がことさら急いでなされた旨主張し、乙五及び証人藤井の証言によっても、右捜索差押は三〇分以内の比較的短時間で終わったことが認められるが、乙一九によると、第十八富士山丸については、既に閔の緊急逮捕時、海上保安庁による捜索差押が行われていることが認められること、及び原判決認定の一一月一〇日の捜索差押に至る経過からすると、右捜索差押は、軍服軍靴の押収に的を絞ったものと認められるので、これが短時間で終わったとしても、特に異とするに足りない。

そのうえ、証人紅粉が白紙に押印したと述べるに至った供述経過(同証人は、当初、捜索差押の際に調書の類に署名押印したことはないと供述していたところ、白紙に署名押印したとの供述は、その後乙二、三の各書証を示された後になされたものである。)に照らせば、前記証人紅粉の証言は採用できない。

4  本件出港に際しての紅粉船長らと入国管理局及び海上保安庁、水上警察の各職員らとの接触並びに紅粉船長らの出港に際しての意識

(一)  《証拠略》によると、次の事実が認められる。

(1) 紅粉船長は、同月一〇日、第十八富士山丸での捜索、差押を受けた際、入管門司港出張所の前橋所長から、同船での閔の北朝鮮への送還ができない旨告げられたものの、その理由として、取調べ中というのみで、それ以外に、送還できない事情、理由を告げられなかった。また、出航を見合わせるようにとの話もなかった。

第十八富士山丸の乗組員は、右捜索、差押の前、朝鮮総連から、閔の身柄をぜひ連れて行けと圧力をかけられており、また北朝鮮での安全を保障するような電話をかけられないとも言われていたので、その話を、右捜索、差押終了後の同日、入管門司港出張所入国審査官に対して伝えた。藤井は、この話を伝え聞き、同日福岡入国管理局長に報告した。

紅粉船長は、右捜索、差押後、入管門司港出張所の前橋所長と、同日及び翌日会い、本件出港の出港届を同所長に提出し、出港の手続を同所長の付添いで行ったが、前橋所長からは、閔の供述内容、送還の見通しなど閔に関する情報、本件出港の危険性等は話されなかった。

紅粉船長は、同月一〇日及び同月一一日、海上保安庁職員と接触し、紅粉船長が朝鮮総連からもらう証明文書を見せるよう頼まれ、これに応じたが、海上保安庁職員からは、閔に関する情報を伝えられず航海の危険性についての話もされなかった。

紅粉船長は、同月一〇日及び同月一一日、門司水上警察署職員と会い、本件出港について、閔を連れて行かない場合に北朝鮮において調べを受ける不安を伝えるとともに、朝鮮総連から、閔の密航等に関し証明文書を書いてもらって持って行くなどと話をした。しかし、右職員は、右朝鮮総連作成文書写を入手しようとしたが、紅粉船長ら乗組員に対し、閔に関する情報や航海の危険性を何ら伝えなかった。

(2) 紅粉船長は、同月一一日、朝鮮総連の中央社会局部長キムヨンジン及び同じく福岡県本部副委員長リウンヒから、閔の密航について、同船長の、故意に乗船させたことはないとの主張を要約し、北朝鮮における長期滞留への心配と、閔の密航について遺憾の意を表した朝鮮語の文書を作成交付され、その内容を日本語で訳して聞かされた。

紅粉船長は、閔を連れないで北朝鮮に赴くについて、北朝鮮官憲から密航幇助の疑いをかけられる不安を有していた。しかし、同船長は、朝鮮総連からもらった文書は決め手になるとは思わないが役に立つものと思っていた。他方、同船長は、北朝鮮に行かない場合に、積み込んだ物資や港湾関係の費用(二五〇万円程度)及び北朝鮮からの積荷の輸入の破棄に伴う弁償(五〇〇万円程度)という商売上の損失が大きいことも考えた。このような理由から、同船長は、本件出港を取り止めなかった。

(二)  証人紅粉の証言中には、前橋所長が、一一月一〇日、紅粉船長に対し、「出てくれ」と北朝鮮への出航を促す発言をしたとの供述がある。

しかし、右供述は、同証言中、身柄は引き渡せないけれども北朝鮮へは出港してくれという指示はなかったとの箇所に照らし、措信しがたい。

5  本件出港当時の日本等と北朝鮮との関係

《証拠略》によると、次の事実が認められる。

(一)  昭和二三年九月九日の北朝鮮政府の成立以来、日本と北朝鮮との間に国交関係は樹立されていない。日本国が昭和四〇年に締結した日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約三条は、大韓民国は朝鮮にある唯一の合法的な政府であることが確認されるとしている。

(二)  のみならず、日本と北朝鮮との間の交流は、昭和五八年の本件出港当時においても、民間を含めてごく限られたものであった。

(三)  日本の船舶に対する北朝鮮による銃撃拿捕事件は、昭和四七年から昭和五八年八月の間に二二件に上っており、その殆どは漁船に対するものである。昭和五〇年九月のふぐはえなわ漁船松生丸への銃撃・拿捕事件では死者二名、負傷者二名を出し、昭和五五年三月の貨物船第5七福丸への拿捕事件では、北朝鮮に連行された船長が、取調べを苦に自殺している。

これら北朝鮮による銃撃・拿捕の理由としては、領海不法侵入、スパイ行為の容疑があった。

(四)  昭和五八年一〇月九日、ビルマ(現在のミャンマー)の首都ラングーン(現在のヤンゴン)の国立墓地で爆弾が爆発し、大韓民国の閣僚を含む多数の死傷者が出た、いわゆるラングーン事件が起こった。右事件について、大韓民国は、北朝鮮の陰謀であるとして北朝鮮を非難し、ビルマ政府は、北朝鮮の指示によるものとの見解を明らかにした。

日本政府は、ラングーン事件について、同年一一月七日、日本の外交官の北朝鮮職員との接触停止などの対北朝鮮制裁措置を発表し、これを実施した。

同月九日、アメリカ合衆国レーガン大統領が訪日し、太平洋地域の重要性を表明した。同大統領は、同月一二日訪韓し、ラングーン事件について、北朝鮮を非難し、米国の対韓国防衛公約を再確認し、在韓米軍の増強の用意があることを明らかにした。

6  北朝鮮における抑留中の取扱、及び北朝鮮官憲の態度

《証拠略》によると、次の事実が認められる。

(一)  第十八富士山丸は、本件出港後、昭和五八年一一月一五日、北朝鮮南浦港に到着したが、乗組員五名は、直ちに北朝鮮当局に抑留された。

紅粉船長及び栗浦機関長は、その後北朝鮮官憲による取調べを受けたが、その容疑は、閔の北朝鮮から日本への密航の幇助、及び継続的なスパイ行為の容疑であった。これら容疑は、いずれも右二名を含む第十八富士山丸乗組員らには該当しないものであったが、北朝鮮官憲は、紅粉船長及び栗浦機関長の二人については、その容疑が認められるものとして、右二人を解放しなかった。この間北朝鮮官憲は、当初から、紅粉船長及び栗浦機関長の二人に対し、閔が北朝鮮に送還されれば、二人を日本に帰すが、そうでないと右容疑が解けないので帰せないと告げていた。

閔が日本で仮放免された直後の昭和六二年一二月、北朝鮮は、紅粉船長及び栗浦機関長を裁判にかけ、二人は教化労働一五年の刑を宣告され、服役させられた。

(二)  その後、平成二年九月の自由民主党、日本社会党、北朝鮮労働党間の政治的折衝の結果、紅粉船長と栗浦機関長とは、同年一〇月、北朝鮮政府により釈放され、日本に帰還することができた。

(三)  第十八富士山丸は、昭和三七年に建造された鋼製貨物汽船であり、右以来、北朝鮮航路等に就航していたが、性能は良く、昭和五八年一〇月末、北朝鮮南浦港において、北朝鮮の商社から三〇〇〇万円で買受けの申出があった。

しかし、本件出港後、北朝鮮南浦港において、乗組員らの抑留とともに、抑留を続けられた。この間、栗浦機関長が、同船の整備、修理に当たっていたが、昭和六二年四月、発電機が破損して以後修理不能となり、効用を喪失した。

三  被控訴人らの責任

1  被控訴人国は、控訴人主張の安全確保義務について、時機に遅れた攻撃防御方法であるとして却下の申立をする。

しかし、右主張は、原審以来控訴人が主張している国家賠償法上の被控訴人国の公務員の義務について説明を加えたものに過ぎず、本件訴訟の完結を遅延させるものではないから、右主張を却下しない。

以下、一、二に認定した事実に基づき、本件の場合について検討を進める。

2  伝達、警告義務

(一)  前記認定事実に照らすと、入国管理局当局と控訴人及び第十八富士山丸乗組員らが、閔の送還を巡り、一定の接触を持ったものであり、閔の退去強制手続という法律上の正当かつ必要な手続によってではあるが、閔の第十八富士山丸による送還ができなくなり、結果的に、第十八富士山丸や乗組員の北朝鮮における抑留の危険が、閔を送還したときに比して増大したとみられ、また右送還の誓約以後第十八富士山丸出港の準備をさせたことにより、控訴人及び紅粉船長らに本件出港の可否について選択の幅を狭めた可能性がある。この点において、入国管理局による法的手続が、第十八富士山丸及びその乗組員らに影響を与えたことは否定できない。

(二)  しかし、本件誓約書の作成提出は、入管法に定められた送還義務を果たす意志を確認したものに過ぎず、被控訴人国ないし入国管理局において、何らかの約束をしたものではないから、これが被控訴人国を束縛する合意と解することはできない。

(三)  また、本件誓約書の作成提出について、被控訴人国ないし入国管理局において、閔の北朝鮮への送還に関し、何らかの約束のみならず、方針を示したものとは認められず、右誓約書の作成提出は、入管法上の義務を確認するものにすぎないこと、及び閔の身柄拘束も、入管法上の手続遂行のためにすぎないことに照らせば、被控訴人国ないし入国管理局において、入管法の規定以上の何らかの政策、方針を示したとは認められない。

(四)  また、前記認定事実の下では、被控訴人国の職員が閔を昭和五八年一一月一一日出航の第十八富士山丸で強制退去させることは、入管法上で許されないところであったし、そうなったことに被控訴人国の職員に責任があるとは認められない。

(五)  もっとも、昭和五八年一一月一〇日までの間に、閔を第十八富士山丸では北朝鮮に送還できないことになっていたのみならず、入国管理局には、閔は、北朝鮮の現役軍人で、軍を脱走し、日本への移住を求めているという密航の背景事情も明らかとなっていた。そのうえ、当時、北朝鮮と日本とは国交がなく、双方の関係は、円滑とはいえなかった。これらの事情に照らすと、北朝鮮政府は、閔が北朝鮮に送還されなければ、閔が民間人であった場合と比較すると、より強い反撥をする可能性が高かったと想像される。

現に、第十八富士山丸の乗組員は、北朝鮮と関係の深い団体である(このことは当裁判所に顕著である。)朝鮮総連の職員から、閔の身柄をぜひ連れて行けと圧力をかけられており、また北朝鮮での安全を保障するような電話をかけられないとも言われており、このことは、昭和五八年一一月一〇日には、入管門司港出張所職員及び同人を通じて福岡入国管理局職員らに伝えられていた。

(六)  しかしながら、前記二6認定の事実を考慮しても、北朝鮮政府が反撥にとどまらず、北朝鮮との貿易貨物の輸送をする民間の第十八富士山丸やその乗組員を長期間抑留する可能性が予測されたとすることはできないし、そのような可能性があると予測させる事実が存して、入国管理局職員ほか被控訴人らの職員がそれを知っていたとかを認める証拠はない。そうすると、被控訴人国の入管行政についての控訴人への行動や控訴人のそれへの協力などの前記二認定の諸事情のもとで、被控訴人ら職員が紅粉船長らに対し北朝鮮への出航を取り止めるように警告しなかったことが違法であるということはできない。

(七)  更に、紅粉船長は、門司港より北朝鮮への出港の際には、前記(五)の事実のうち、閔が軍人である可能性が高いと認識していたし、勿論、閔が北朝鮮からの密航者であること(従って、軍人であれば軍からの脱走者でもあること)や閔を今回の航海で連れ帰ることのできないことも知っていたし、密航者であるから北朝鮮ではなく本邦への在住を希望する可能性も高いであろうと考えたと推認されるし、前記二5の日本等と北朝鮮との関係で認定した事実を知っていたものと推認される。これによると北朝鮮政府が反撥することになるかも知れない基礎の事情の主な部分には認識があったものといえる。

他方、福岡入国管理局職員など被控訴人ら職員において認識していた事実のうち、紅粉船長が知らない事実は、閔が北朝鮮軍人の可能性が高いだけではなく、自ら北朝鮮軍人であると述べていること、閔を第十八富士山丸で送還しないだけではなく、閔が本邦での在住を現に希望していることなどにとどまるものである。

このような状況の下では、前記(六)の点をも考慮すると、被控訴人らの職員が前記のとおりの認識を持っている紅粉船長に、更に情報を伝達しなかったことが違法であると断定することはできない。

3  予防義務

(一)  海上保安庁法には、海上保安官は、四囲の事情から真にやむを得ないときは、船舶の進行を停止させ、又はその出発を差し止め、航路を変更させたり指定する港に回航させることや、乗組員らを下船させたり下船を制限禁止したり、船舶が抑留されもしくは人命に対し危険であるときに、当該船舶と陸地などとの交通を制限し、禁止することができるとの規定(同法一八条)がある。また、警察官職務執行法には、警察官は、人の生命もしくは身体に危険を及ぼし、又は財産に重大な損害を及ぼすおそれのある危険な事態がある場合においては、関係者に必要な警告を発し、特に急を要する場合においては、危害を受けるおそれのある者に対し、その場の危害を避けしめるために必要な限度でこれを引き留め、もしくは避難させ、関係者に対し、危害防止のため通常必要と認められる措置をとることを命じ、又は自らその措置をとることができるとの規定(同法四条)がある。

これらの規定は、抽象的には、本件のように外国に渡航する船舶及びその乗組員らが、当該外国で抑留されるおそれがある場合についても、右抑留を防止する目的で行使されうるものと解される。

もっとも、これらの規定内容に照らすと、海上保安官又は警察官において、規定された危険防止の措置を取ることが期待されるのは、危険が現実化しており、しかも右措置を取るほかに有力な手段がない場合に限られるものと解される。

(二)  しかし、本件出港に際しての第十八富士山丸及びその乗組員らの北朝鮮において受ける不利益の程度、その可能性について予想しえたところは、2に述べたとおりであり、未だ、門司海上保安部職員及び門司水上警察署職員にとって、右不利益の程度、その可能性が、第十八富士山丸及び紅粉船長、栗浦機関長ら乗組員が北朝鮮に抑留される危険として、予想しえたと認めることはできない。

そうすると、門司海上保安部職員らについて、海上保安庁法一八条による危険防止の措置をなす義務があったとは認められず、また門司水上警察署職員において、警察官職務執行法四条による危険防止の措置をなす義務があったとも認められない。

(三)  また、外務省職員において、右の危険性を現実的に予想しえたと認めるべき証拠はなく、入国管理局職員らの危険予想の程度については2に述べたとおりにすぎないから、これら職員において、門司海上保安部職員及び門司水上警察署職員に対し危険防止措置を取るよう要請するべき義務があったとも認められない。

4  救済義務

控訴人ら主張のように、外務省職員に救済義務違反があったとするためには、その主張のように、外務省職員において、第十八富士山丸の返還とその乗組員の釈放のため、最大限北朝鮮と交渉し、救済するべき義務があったというだけでは足りず、具体的に、外務省職員が右交渉、救済する前提として、どのような認識を有し、どのような立場にいたため、どのような交渉、救済措置をなすべきであったかを主張立証する必要がある。しかし、控訴人は右主張立証をなさないから、控訴人のこの点の主張は失当である。

5  そのほかに、被控訴人らに、本件第十八富士山丸及びその乗組員らの北朝鮮抑留に関して、国家賠償法上の責任があると認めることはできない。

四  よって、控訴人の被控訴人らに対する請求は、いずれも理由がないから棄却するべきところ、これと同旨の原判決は相当であるから、本件控訴はこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 井関正裕 裁判官 河田 貢 裁判官 高田泰治)

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